その名は、ヘンリー・パーマストン。
当時、世界の支配者です。
【要約】
パーマストンは3つのこと成し遂げました
激昂するアメリカを脅して黙らせた
1839年、イギリス国籍のスパイがアメリカで捕まりました。
パーマストンはアメリカに言いました。
「確かに。カナダにはそれほど陸軍はおいていない。しかし、その気になればニューヨークもボストンも灰にできることを君たちはお忘れではないか。」
焼くぞ!と脅したのです。
当時の米国は新興国。
自分達が劣勢なのはわかっていました。
「リメンバー!」と言えば国民が激昂して結束し、戦争をするのが常。
そんな米国がスパイを無罪放免引渡しをしたとか。
暴れまわるチャイニーズを叩きのめす
1840年のアヘン戦争。
清の正規軍は1カ月で破れます。
その後は、「平英団」という兵隊だか犯罪者だかわからないような連中との抗争。
別名、便衣兵(ゲリラ&テロ)との抗争は約2年の及ぶ。
そして、英国は不平等条約を押し付けて、さっさと引き揚げた。
パーマストンは言った。
「チャイナは10年に1回、叩きのめさなければならない」
後の、1856年からのアロー戦争である。
ロシアを引きずり出して袋叩き
1853年、クリミア戦争。
嫌がるロシアを戦争に引きずり出し、袋叩き。
ロシアは、強いか弱いかの見極めが達人的に上手い国です。
民間になっていたパーマストンは外交界の長老として世論を煽りまくった。
そして、クリミア戦争を引き起こした挙句に介入。
ロシアはこの時ばかりは孤立し、袋叩きにあった。
英仏の船はロシア船を追い回し、北海道でも交戦。
1853年と言えばペリーが日本に来た年です。
この時パーマストン(英)は、高杉晋作や大久保利通ら(薩長)とも交戦しています。
薩英戦争や馬関戦争。
幕末の人は常にイギリスの存在を意識していましたが、そのイギリスとはパーマストンのことなのです。
引用元
我こそは世界の支配者パーマストン 若者に伝えたい英雄たちの世界史
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